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日本の温泉100選

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三朝温泉★鳥取県

「にっぽんの温泉100選」

39 三朝温泉 鳥取(みささ温泉)

三朝温泉(みささおんせん)は、鳥取県東伯郡三朝町(旧国伯耆国)にある温泉。

温泉情報
所在地 鳥取県東伯郡三朝町
交通アクセス 鉄道:JR山陰本線倉吉駅より、日ノ丸バスで20 - 25分
飛行機:鳥取空港より、空港リムジンバス(日ノ丸バス)で約1時間
泉質 塩化物泉、単純温泉



三朝温泉 斉木別館
130余年で培われた「おもてなしの心」を大切に寛ぎのひとときをお楽しみいただけます。石舞台を配した日本庭園も自慢。




三朝薬師の湯 万翆楼
三朝温泉の中心に位置する老舗料理旅館です。




三朝温泉 依山楼 岩崎
三朝川の眺望随一の老舗旅館、バラエティ豊かな大浴場・露天風呂が自慢。 2009年エステオープン。




三朝温泉 藍の宿 木屋旅館
創業明治元年、木造三階建ての老舗旅館。温泉遺産の宿に選ばれた、天然温泉の宿。



温泉街
三徳川の両岸に旅館が立ち並ぶ。温泉街は三朝橋周辺に広がっており、伝統的な和風旅館が多い。河原風呂(川原の温泉:24時間・無料)と公衆浴場菩薩の湯は三朝橋のたもとにある。石畳の温泉本通りには、こじんまりした旅館・飲食店・古美術店・スナック・土産物屋・射的場等が並んでおり、情緒ある温泉街が形成されている。元湯の株湯は温泉街を少し離れた静かな住宅街の中にあり地元住民の利用が多い。

本格的な療養温泉でもあり、温泉医療のメッカとしても知られ、国立病院や大学病院、温泉研究所が至る所に見られる。またオンドルを持った長期滞在者向けの旅館や自炊宿も見られ、観光と療養という両極性がこの温泉の特徴である。

歴史
830年の歴史があるという歴史的な温泉で、源頼朝の家臣、大久保左馬之祐(さまのすけ)が源氏の再興を祈願し、三徳山三仏寺に赴いた折に命を救った白狼が夢枕に立って、楠の老木から湯が湧き出ていることを教えたといわれる。この湯が元湯の株湯である。

出雲国風土記にも温泉に関する記述がある。

明治以降は多くの文人も訪れた。訪れたのは与謝野鉄幹、与謝野晶子、野口雨情、志賀直哉、斎藤茂吉、島崎藤村などである。

2004年に発生した温泉偽装問題では、湯船中の温泉の割合が1割にも満たない状態の風呂がある旅館が一件あったと報じられた(三朝プレインホテル)。
ウィキペディアより


山中温泉★石川県

「にっぽんの温泉100選」

40 山中温泉 石川

山中温泉(やまなかおんせん)は、石川県加賀市にある温泉。

温泉情報
所在地 石川県加賀市
交通アクセス 空路 - 小松空港
鉄道 - JR西日本北陸本線:加賀温泉駅
車 - 北陸自動車道:加賀IC
泉質 硫酸塩泉
(ナトリウム・カルシウム)
泉温 48.3 °C
湧出量 773 リットル/分
pH 8.57
液性の分類 弱アルカリ性
浸透圧の分類 低張性



山中温泉 お花見久兵衛
TVや雑誌で紹介される山中温泉の人気宿。個性あふれるおもてなしと料理人手作りのお料理が評判。人気の理由は豊富なプラン…



片山津温泉 ホテル森本
湯の元に立地し湖を一望する宿!芋焼酎80種類がそろう焼酎バーやこだわりの宿屋の売店も人気の秘密!



山中温泉 山中プリンスホテル
季節感に浸りながら静寂の時間を過ごせるお宿


温泉街
あやとりはし山中温泉街は山に囲まれた街であり、また至近の自然豊かな山、谷、川など山間部の田舎の情緒も味わえる。温泉街は大聖寺川の渓谷沿いなどに旅館が立ち並ぶ。

文字通り「山の中」にあり、一帯は鶴仙渓という景勝地である。街のシンボルであるこおろぎ橋や草月流家元がデザインしたユニークな形のあやとり橋も楽しめ、日帰り入浴施設も充実している。山中漆器の産地でもあり、土産物屋が多い。山中節という民謡もある。

一方、1970年代は歓楽温泉としても発展したが、町の景観整備も進み、歩いて楽しい温泉地と変貌してきた。

歴史
新家熊吉翁の銅像開湯から1300年とされる。奈良時代行基による開湯伝説も存在する。しかしながら広く知られる開湯伝説は平安時代の開湯とされ、鎌倉武士、長谷部信連は傷を負った白鷺が傷を癒しているところから発見し、あらためて掘ってみたところ温泉が湧き出たと言われる。この開湯伝説は後に名古屋駅・米原駅発着の北陸本線エル特急や北陸鉄道6010系電車の愛称の由来の1つともなっている。山代、山中、片山津と言われ、山代温泉に次いで加賀国の代表的2番目の温泉地である。

奥の細道の松尾芭蕉と河合曾良は驚異の速さで行程を歩いたが、終点の岐阜大垣を目前に安堵したか、温泉嫌いであった芭蕉もここ山中温泉の名湯が格別気に入り八泊後、芭蕉は那谷寺を参詣し小松へ戻り、腹を病んでいた曾良を先に帰し大聖寺へと別れた。重陽の節句(菊の節句)に因む名湯を称えた句を残す。

1903年初代新家熊吉(あらや くまきち)は高価な輸入自転車に対して安価な普及を願い山中漆器の工程からヒントを得て初めて木製リムを製造し、日露戦争時で需要も旺盛となり、1915年に英国製を手本に国産初の金属製リムの製造に成功。1946年に「ツバメ號」自転車を生産し、その後リムと共にチェーンの製造も手がけ、これらは加賀市の機械産業の一翼と成っている。上原町国道脇の丘に翁の銅像があり、傍のシダレザクラも見事である。二代目新家熊吉は初代加賀市長となった。

昭和初期まで各温泉宿には内湯が無く「湯ざや」と呼ばれる共同浴場を利用していた。

1938年海軍は佐世保市、呉市、横須賀市所在の軍管理のもと既存の三つの温泉病院(他に三病院、青森県むつ市大湊湾、韓国・鎮海港、台湾・馬公市)に加え、京都府舞鶴市所在の軍管理で日本海側にも一つ温泉病院の設立を決定した。各地で誘致合戦が展開され、戦況から毒ガスの使用が予想され、毒ガス傷病兵に効能ある泉質から山中温泉に土地の無償提供も有り1941年10月山中海軍病院が開設された。1945年12月国立山中病院、2003年3月山中温泉医療センターとなった。加賀市合併後、市の施設とし運用され、管理運営は社団法人地域医療振興協会に委ねている。また、1946年付属看護婦養成所を併設し、1953年高等看護学院を開設、1975年付属看護学校と改称、2004年4月全国の国立病院が独立行政法人国立病院機構となったのを機に全国50余校と共に廃校となった。

近年は1978年、女優樋口可南子のデビュー東京放送系テレビ小説「こおろぎ橋」で再び知れ渡った。1996年から1999年までフジテレビ系(東海テレビ製作)の昼ドラマ「はるちゃん」の舞台になった。
ウィキペディアより

熱海温泉★静岡県

「にっぽんの温泉100選」

41 熱海温泉 静岡

熱海温泉(あたみおんせん)は、静岡県熱海市(旧国伊豆国)にある温泉である。日本の三大温泉の一つ。日本の三大温泉場の一つとも言われている。日本では温泉地として単に熱海(あたみ)と通称されることが多い。

温泉情報
所在地 静岡県熱海市
交通アクセス 鉄道 : JR東海道新幹線またはJR東海道本線熱海駅下車すぐ
泉質 塩化物泉
湧出量 毎分18,000L
液性の分類 弱アルカリ性
浸透圧の分類 低張性



熱海温泉 熱海後楽園ホテル
夜景と相模湾を眼前に望める絶好のロケーション! 大好評タワー館バイキングプラン ★予約受付中★



熱海温泉 ホテルニューアカオ
イン朝8時。のんびり27時間ステイが魅力!!まるで海の上に建っているようなロケーションの全室オーシャンビューのホテルです




熱海温泉 松喜旅館
純粋な温泉 お部屋お食事 ペットさん同室可無



熱海温泉 熱海の奥座敷 山の上ホテル
眺望熱海随一。全室から夜景の見える料理自慢の宿。


温泉街
港にすぐ山が迫る地形の中、海岸線に沿って旅館ホテルが立ち並ぶ。尾崎紅葉の「金色夜叉」の貫一お宮の像がある。

温泉街は駅近辺から海岸沿いまで広がっている。

歴史
古くは徳川家康が訪れたり、献上湯を行った。明治以降は文人墨客が多く訪れ、また多くの作品がこの地を舞台に描かれた。代表的なものは、尾崎紅葉の「金色夜叉」、永井荷風の「冬の日」、林芙美子の「うず潮」などである。

昭和30年代は、新婚旅行のメッカで、白いドレスに白のスーツケースを持ったそれと分かるカップルで賑わった。高度経済成長期、団体旅行を誘致するようになり、その客目当てのストリップ劇場や風俗店が増え、イメージが低下して家族客の客離れが進んだ。バブル経済以降は団体客は減り、以前ほどの集客は望めず、休館している旅館が目立ち、それによって町が寂れた印象を与え、更に客離れが進むという悪循環にある。温泉ブームに乗って個人客は徐々に増えつつあるが、目の肥えた客を繋ぎ止めるためには旅館・ホテル側も相当の企業努力が求められる現状にある。

尚、2005年には一連の秋葉系ブームに便乗したのかメイド喫茶ならぬメイドホテルがオープンしたが、僅かな期間で営業を終了してしまった。

2008年以降はガソリン高騰、都心からの交通網の豊富さ、猛暑に伴う近場ビーチとして再び脚光を浴びている。
ウィキペディアより

定山渓温泉★北海道

「にっぽんの温泉100選」

42 定山渓温泉 北海道(じょうざんけい温泉)

定山渓温泉(じょうざんけいおんせん)は、北海道石狩支庁管内札幌市南区(旧蝦夷地、明治以降の旧石狩国)の定山渓温泉地区にある温泉。「札幌の奥座敷」とも呼ばれている。

古くアイヌに知られ、江戸時代には通行した日本人が入り、1866年に美泉定山が温泉宿を開いた。1918年に定山渓鉄道が通ったことで発展した。

札幌の至近にある温泉で、市内の人々のほか、札幌観光の一環として多くの道外や外国からの観光客が利用する。札幌市の調べによれば、2003年度(4月から翌年3月)に日帰り客91万1千人、宿泊客152万8千人、計239万9千人の観光客が訪れ、宿泊客のうち3万6902人が外国人であった。また、354校が修学旅行で訪れた[1]。2006年度には、3年ぶりに240万人の観光客が訪れ、前年比110.9%となった。外国人客も7万人、前年比138%と寄与している。



定山渓温泉 定山渓第一寶亭留 翠山亭
温泉街の高台にあり、景観良好。ゆっくりと旅の疲れをいやせます。



定山渓温泉 ホテル鹿の湯
渓流のせせらぎを眺めながらの露天風呂は、湯元ならではの贅沢。馴染みの宿のおもてなしをご満喫下さい。



定山渓温泉 佳松御苑 吉兆
旅情、風情に重点を置いた定山渓唯一の和風の静かな宿



温泉情報
所在地 北海道石狩支庁管内札幌市南区
交通アクセス バス-札幌駅バスターミナルよりじょうてつバス7・8番「定山渓車庫前」または豊平峡温泉行きに乗車(約70分)
   札幌市営地下鉄南北線真駒内駅よりじょうてつバス12番「定山渓車庫前」行きに乗車(約50分)
泉質 塩化物泉

温泉街
温泉は豊平川の川底から湧いており、その川沿いに温泉街が広がる。2005年現在ホテル17、公共宿泊施設7があり、他に会社などの保養所も多い。

河童にまつわる話が残ることから、街路に多数の河童の像が置かれている。足湯、手湯はそれをモチーフにしている。

周囲にはスキー場がいくつかある。

また、温泉街から少し離れた国道沿いにある定山渓小学校の敷地内には、定山渓郷土博物館があり、美泉定山や温泉の歴史、定山渓鉄道に関する資料や昔の生活道具などが展示されている。

なお、温泉街から札幌国際スキー場を経由して小樽市の朝里川温泉方面に向かう道路の途中には、小樽内川を堰き止めて作られた定山渓ダムと人造湖のさっぽろ湖があり、同ダム下流側の園地には定山渓ダム資料館もある。また、豊平川上流の豊平峡には、豊平川を堰き止めて作られた豊平峡ダムと定山湖があり、豊平峡ダムには、豊平峡ダムミュージアム(愛称: 「ひふみみはなめ」)が併設されている他、豊平峡ダムの近くには、展望台とレストハウスも設置されている。さらに、豊平峡ダム周辺には、札幌市定山渓自然の村もある。

近隣には、薄別(うすべつ)温泉(国道230号を札幌都心部と逆方向に進むとある。1軒宿の高級温泉旅館がある)、豊平峡温泉(定山渓から豊平峡ダムへ向かう途中にある)、小金湯温泉(定山渓から札幌都心部へ向かう途中にある)などの温泉もある。場合によっては、これらの温泉を定山渓温泉と併せて扱うこともある。


歴史
この地の温泉の存在は古くからアイヌ民族に知られていた。江戸時代には、松浦武四郎が旅行中に川の中に湧く温泉に入ったことを記しており、定山渓温泉のことと知れる。慶応2年(1866年)に小樽でこの温泉のことを知った僧美泉定山が小さな小屋を作って温泉宿とした。札幌に新しい北海道の首府を建設していた開拓使判官の岩村通俊は、定山の求めを容れて1871年(明治4年)に温泉地を訪れた。岩村はここに休泊所と浴槽を作らせ、湯守の定山に米を給与した。同年本願寺街道の検分の折りにここを訪れた東久世通禧開拓長官が、常山渓と命名し、これが後に定山渓に変化した。しかし、1874年(明治7年)7月に定山への給与は打ち切られた。当時は札幌の人口が少なく、温泉は経営的にほとんど成り立たなかった。

1877年(明治10年)に定山が死んだ後、1880年(明治13年)に佐藤伊勢造が温泉の経営を引き継いだ。客が少ないことは変わらず、周りに畑を開き、川で魚を得て生計を立てた。しだいに客が増え、1886年(明治19年)に高山今朝吉が高山温泉を開き、さらに後に鹿の湯温泉ができた。

1914年(大正3年)に豊羽鉱山の開発が始まると、定山渓温泉の本格的な開発がはじまった。温泉宿は改築され、新築の旅館も増え、その他の店や家も増加した。鉱山開発に伴って定山渓鉄道が1918年に開通した。それまで一日がかりで山道を歩いた苦労がなくなり、1929年(昭和4年)には所要一時間を切って日帰りもたやすくなった。この交通の便を得て定山渓温泉は札幌の奥座敷としての地位を確たるものにした。好景気のきっかけになった豊羽鉱山は1920年(大正9年)にいったん休山したが、温泉街と鉄道は互いに支えあって順調に発展した。

定山渓温泉の利用客は、戦時中と戦争直後に激減した。戦後にホテル(鹿の湯)を接収した進駐軍は、1947年(昭和22年)に建物を不審火で全焼させて去っていった。

札幌市の戦後の急成長にともなって温泉街は回復した。1965年(昭和40年)に、定山渓観光協会は漫画家おおば比呂司の助言で河童をモチーフにした街づくりを始めた。かっぱ音頭を作り、かっぱ祭りを催し、そのために河童の伝説を創作した。豊平川の淵に身を投げた青年が、後に親の夢枕に立ち、自分は河童と結婚して沈んだのであり、今も幸せに暮らしていると告げたというものである。これ以後河童は定山渓のシンボルとなった。

札幌市の奥座敷という位置づけもあり、多くのホテルが一昔前の「宴会を行う団体客向け」の構造となっている。このため、個人客が主流となった現在の旅行形態とミスマッチを起こしており、各ホテルは経営に苦心している。こうした流れを打開するため21世紀に入る頃から、海外からの団体観光客を積極的に受け入れるようになった。台湾・香港・大韓民国からが主である。
ウィキペディアより
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