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日本の温泉100選

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酸ヶ湯温泉★青森県 

「にっぽんの温泉100選」

47 酸ヶ湯温泉 青森(すかゆ温泉)

酸ヶ湯(すかゆ)は青森県青森市(旧国陸奥国)南部にある八甲田山系の火山起源の温泉。湯はその名の通り強い酸性を示す。すかゆは鹿湯(しかゆ)が変化したもの。


温泉情報
所在地 青森県青森市
交通アクセス 鉄道:東北本線青森駅からJRバス東北十和田北線で約1時間
泉質 酸性硫黄泉

温泉宿
八甲田山中の一軒宿であるが、豊富な湯量と各種効能から宿泊客が多いこともあり、宿の規模は大きい。またその効能から湯治客も多く、一般客向け以外に湯治用宿泊棟が設けられている。

名物は千人風呂。総ヒバ造りの体育館のような巨大な建物で、大きな浴槽2つ(「熱の湯」、「四分六分の湯」)と打たせ湯がある。「熱の湯」と「四分六分の湯」は隣同士であるが泉源が異なる。また名前から受ける印象と実際の湯の温度が異なっている。「熱の湯」は源泉の湯をそのまま使っているが、ややぬるめ(名前の由来は、熱の湯の方が体の芯から温まるから、あるいは源泉の湯をそのまま使っているから)。「四分六分の湯」は源泉の湯に水を混ぜているが、もともとの源泉の湯が高温であるため、熱の湯より高温(名前の由来は熱の湯にくらべて体の芯から温まらないから、あるいは湯と水の混合比による、とされている)。 脱衣所は男女別だが中は混浴。ただしまったくの混浴というわけではなく、大浴槽は中央半分に目印があり、そこで男女が区切られている。四分六分の湯は飲用可能で飲むとレモン水のような味がする(注:2005年10月現在、飲用の猪口等撤去された模様)。八甲田登山の帰りに立ち寄る登山客も多い。近辺は奥入瀬から続く紅葉の名所。

アメダスが設置されており、日本の中では最も気温の上がりにくい場所であり2005年3月4日には、観測史上最高の積雪・501cmを記録した。2007年11月現在、観測を行っている全アメダス観測所の中でも最も多い積雪量である。積雪の多い年は、6月上旬頃まで雪が残ることがある。


歴史
江戸時代前期の1684年(貞享元年)の開湯と伝承される。非常な山奥にもかかわらず、古くから湯治場として訪れる者が多かった。

大正時代、この温泉宿を経営していた郡場直世の妻フミは、近辺の高山植物を採集してその標本を各地の研究機関に寄贈した。彼女の功績によって早くから八甲田山の植生が研究されており、そのため酸ヶ湯温泉の付近に東北帝国大学の研究施設(東北帝国大学八甲田山植物実験所、現在の東北大学植物園八甲田分園)が作られた。また彼女の息子郡場寛は植物学者でもある。

1954年(昭和29年)、四万温泉、日光湯元温泉と共に国民保養温泉地第一号に指定されている。

一軒宿は前述の混浴の千人風呂が有名であるが、混浴マナーの低下から、女性客の苦情が多くなり、2004年6月には目印の辺りに間仕切りが設置された。しかし今度は間仕切りに対する苦情が増え、同年10月に撤去。その後、2005年4月に常連客が中心となって「混浴を守る会」が発足、三浦敬三が男性側の代表に、中村哲子が女性側の代表に就任した。一軒宿の中に看板を設置するなど、混浴マナーの維持活動が行われている。 なお三浦敬三の逝去に伴い現在の男性代表は浅井慎平となっている。
ウィキペディアより


銀山温泉★山形県

「にっぽんの温泉100選」

48 銀山温泉 山形

銀山温泉(ぎんざんおんせん)は、山形県尾花沢市(旧国出羽国、明治以降は羽前国)にある温泉。村山総合支庁管内に位置する。

NHK連続テレビ小説「おしん」の舞台となったことで一躍脚光を浴び、全国的にその名を知られることになった。



銀山温泉 旅館藤屋
昨年7月リニューアルオープン。四季織りなす料理と心を込めたおもてなしで、大変ご好評頂いております。



銀山温泉 旅館松本
エレベータで館内の移動楽々!お夕食はお部屋食又は個室。お風呂は源泉かけ流し!全10室の静かな家庭的な宿です。


温泉情報
所在地 山形県尾花沢市
交通アクセス 鉄道:山形新幹線大石田駅よりバスで約40分
泉質 硫黄泉

温泉街
銀山温泉共同浴場銀山川の両岸に大正から昭和初期にかけての建築の旅館が立ち並ぶ。多くの旅館は、建築された当時としては非常にモダンな三層四層の木造バルコニー建築であり、外装には鏝絵が施されている。川には橋が多くかかり、また歩道にはガス灯が並んでいる。

銀山側下流側から温泉街を眺めた大正ロマン漂う光景は、温泉のシンボル的な風景である。この光景を守るため、町並みを保存する条例が定められている。

当地にある旅館「藤屋」の白人女将藤ジニー(1966年3月26日生まれの米国人、旧名ジニー・ビュー)は公共広告機構のCMに出演するなど、メディアに出る機会も多い。

温泉街には古くからの「大湯」近年できた「しろがね湯」2軒の共同浴場が存在する。温泉街の遊歩道には足湯もある。


歴史
開湯は寛永年間に、かつてこの地にあった延沢銀山の工夫が銀山川の中に湧いている温泉を発見したことによる。

1689年に銀山が閉山した後は湯治場として賑わったが、1913年の大洪水により温泉街は壊滅した。その後、地元財界の力で復興し、その時に現在の温泉街の光景が作られた。

1968年11月19日、国民保養温泉地に指定。
ウィキペディアより

湯田中渋温泉郷★長野県

「にっぽんの温泉100選」

49 湯田中渋温泉郷 長野

湯田中渋温泉郷(ゆだなかしぶおんせんきょう)は、長野県下高井郡山ノ内町(旧国信濃国)の横湯川、夜間瀬川流域に点在する9つの温泉の総称(温泉郷)である。また、沓野温泉を含めて10の温泉として扱う場合もある。旅館、ホテルも約100軒ほどあり、大型旅館や最新の都市型ホテル、和風の伝統的な木造旅館など、個性的な施設も多い。近年、湯田中、新湯田中、星川、穂波、安代の各組合で観光協会を設立、湯めぐり手形の販売を行ったり、1ヶ月以上にわたって夏祭り等を開催するなどの活動を行っている。駅周辺ではヤマアジサイの植栽をはじめている。温泉郷内の共同浴場の数は別府温泉に次ぐ国内第二位の軒数を誇る。大湯とよばれる共同浴場が六ヶ所あるのは日本ではこの温泉郷だけである。町内には温泉街が点在している。町内にある他の温泉は山ノ内町#温泉を参照のこと。また日本を代表する草津温泉へは直線距離16km、江戸時代には関所の無い道として、上州草津温泉から7里で当地宿泊、翌日に善光寺詣として利用されていた。

なお1955年(昭和30年)の下高井郡平穏町と夜間瀬村、穂波村合併前は、下高井郡平穏町一帯は志賀高原の発哺温泉、熊の湯温泉などを含めて信州平穏温泉という名称で親しまれていた。



湯田中温泉 まるか旅館
静かなところにあり、ゆっくりのんびりとくつろげる旅館です。



渋温泉 金喜ホテル
あたたかさに包まれた、信濃のお宿。



一茶のこみち 美湯の宿
湯田中随一の眺望の宿 雪見露天風呂をお楽しみいただけます。




ウィキペディアより

玉川温泉★秋田県

「にっぽんの温泉100選」

50 玉川温泉 秋田

玉川温泉(たまがわおんせん)は、秋田県仙北市(旧国出羽国、明治以降は羽後国)にある温泉。

一年のおよそ半分は通行止めの豪雪地帯

玉川温泉に通じる唯一の道、国道341号線は毎年11月末から翌年4月下旬まで、積雪のため、 「冬季間通行止め」となる豪雪地域です。右の写真は2006年5月中旬に玉川温泉を訪問した際に撮った写真です。まだまだ雪が道路脇にたっぷり残っている状態で、夜間は4月下旬の国道開通後も通行止めになるなど、交通情報などで事前に情報を入手しておくことが必要です。

温泉情報
所在地 秋田県仙北市
交通アクセス 鉄道:秋田新幹線田沢湖駅から羽後交通バスで約1時間20分
泉質 塩化物泉

温泉街
玉川温泉地獄地帯と岩盤浴秋田・岩手の県境にまたがる八幡平(火山)の秋田側に位置し、山中の一軒宿だったが、多様な泉質と豊富な湯量と効能から、本格的湯治場として人気が高く、長期で滞在する湯治客も多い。きわめて宿泊の予約が入れにくいため、1998年に同経営の「新玉川温泉」が玉川温泉から徒歩10分程の所に、さらに2004年には別経営の宿「ぶなの森玉川温泉 湯治館そよ風」が新玉川温泉の近くに開業している。湯治向きの玉川温泉に対して、新玉川温泉は観光客向けに作られている。玉川温泉と新玉川温泉とでは、新玉川の湯の方が刺激も少なく入りやすい。これは、源泉から長距離引湯している影響である。特に有名なのが、この温泉と台湾の北投温泉にだけ存在する北投石(ほくとうせき)。しばしばマスコミにも報道されている。

温泉地には地熱の高い地獄地帯が存在し、岩盤浴が名物である。多くの人がゴザを引いて岩盤浴を行う光景が見られる。


歴史
地元のマタギにより1680年に発見された。発見時に鹿が傷を癒していたことから、古くは「鹿の湯」、「鹿湯」と呼ばれた。1885年(明治17年)に、鹿湯という名称で湯治場として開かれるまでは、当地にあった硫黄採掘所の工夫とマタギが温泉を利用していた。

温泉地としての本格的に開かれることになったのは、五代目・関直右衛門が開発に乗り出してからである。 1929年(昭和4年)に当地で湯治を行い、その効能の高さを知った関は、1932年に近隣の湯瀬温泉に湯瀬ホテルを建設すると共に玉川温泉の権利を取得した。

1934年(昭和9年)、それまでの鹿湯という名称から玉川温泉に改められた。命名は朝日新聞記者・杉村楚人冠による。

戦前は、馬が主要な交通手段で、交通の便が非常に悪かった。第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)、国道およびバス路線が開通。その後開発が進むようになった。

玉川温泉が癌との関係を特に注目されるようになったのは、鹿角市にて鹿角タイムズ社を経営していた阿部真平が1974年に出版した「世界の奇跡玉川温泉」以降である。但し読む際には医学的な根拠がある本ではない事に注意が必要であり、前述の効能記述にもあるようにあくまでも癌は当温泉地の禁忌症である。

1959年(昭和34年)9月3日 - 厚生省告示第256号により、八幡平温泉郷の一部として国民保養温泉地に指定。
ウィキペディアより

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