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日本の温泉100選

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下呂温泉★岐阜県

「にっぽんの温泉100選」

7 下呂温泉 岐阜

下呂温泉(げろおんせん)は、岐阜県下呂市(旧国飛騨国)にある温泉。林羅山が有馬温泉・草津温泉とともに、日本三名泉に数えた(ただし、当時は下呂ではなく湯島と表記)ことから、「日本三名泉」と称されている。




下呂温泉 湯あそびの宿 下呂観光ホテル本館
絶景露天風呂ランキングにて街絶景部門1位の夜景と7つの露天風呂が自慢の宿。大人のカップル、女性グループにオススメ




下呂温泉 白樺ホテル
清潔感とお値打ち感のお宿。貸切露天風呂あります




下島温泉 仙游館
目前の渓谷と山々、大自然の中で心も身体もリフレッシュ。日々の疲れをいやす宿へどうぞいらっしゃい




下呂温泉 和みの畳風呂物語の宿 小川屋
JR下呂駅より徒歩7分下呂温泉街の中心、日本屈指の「和み畳風呂」の飛騨川畔の和風情緒溢れる旅館



温泉情報
所在地 岐阜県下呂市
交通アクセス 鉄道 : 高山本線下呂駅すぐ
車 : 国道41号利用のこと。温泉街近くに市営駐車場あり
泉質 単純温泉
液性の分類 アルカリ性

歴史
延喜年間から天暦年間の頃に、現在の温泉地から離れた場所である、湯が峰の山頂付近に温泉が湧出したのがはじまりである。

文永2年(1265年)に山頂からの湧出は止まったが、現在の温泉地である飛騨川の河原に湧出しているところを発見された。このことは開湯伝説における白鷺伝説として伝わる。

温泉地は飛騨川の氾濫の度に壊滅的な被害を受けてきたが、その度に復興してきた。

また、「下呂」の名前は昭和以降に使われ始めた名称で、それ以前は「湯之島」と呼ばれていた。

この「下呂」の名の起源は律令時代に遡り、駅伝に用いられた「下留」駅が、時代が下って音読みする様になり、転じて現在の音と表記になった。
ウィキペディアより


有馬温泉★兵庫県

「にっぽんの温泉100選」

8 有馬温泉 兵庫

有馬温泉(ありまおんせん)は、兵庫県神戸市北区(旧国摂津国)にある温泉。日本三古湯の一つであり、林羅山の日本三名泉、また枕草子の三名泉にも数えられる、全国有数の名湯。瀬戸内海国立公園の区域に隣接する。




有馬温泉 有馬御苑
有馬の金泉と、グレード指定で仕入れる牛肉のお料理が自慢のお宿です




有馬温泉 竹取亭円山
8月に有馬温泉の新しい湯宿としてリニューアルオープン!!4つの露天風呂を合わせ合計12の湯船で温泉巡り。




有馬温泉 有馬ビューホテル
金泉・銀泉2つの泉源をもつ湯の香にひたる宿。




有馬温泉 旅館やまと
緑に囲まれた純和風の宿、朝夕食ともお部屋だし



温泉情報
所在地 兵庫県神戸市北区
交通アクセス 交通の項を参照
泉質 塩化物泉、放射能泉

温泉街
湯本坂神戸市にありながら山深く六甲山地北側の紅葉谷の麓の山峡にある温泉街で、古くより名湯として知られ多くの人が訪れている。温泉街はかなりの急斜面にあり、街中を通る道も細い。大きな旅館やホテルは温泉街の周辺や少し離れた山麓、山中にある。公的な外湯は「金の湯」(金泉)、「銀の湯」(銀泉)があり、観光客や下山客でにぎわっている。旅館の宿泊料金は比較的高いとされているが、最近では一人一泊二食付1万円の宿も散見され幅広い客層がみうけられる。また、最近では日帰り入浴を楽しめる旅館が増えてきている。温泉寺の周辺に上記外湯2箇所と特産品店や民家が密集しており、のんびり散策する客が多い。そこで神戸電鉄では日帰り入浴客に配慮して、それに対応した旅館とのタイアップにより企画した特殊乗車券を発売するなどして、誘致活動に努めている。

湯本坂 - 旧大阪街道。昔の温泉街のメインストリートで、町家の佇まいが残る
外湯 - 金の湯、 銀の湯、 太閤の湯(温泉テーマパーク)
公園 - 瑞宝寺公園、 鼓ヶ滝公園、 愛宕山公園、ゆけむり広場
社寺 - 有馬稲荷神社、温泉寺、極楽寺、念仏寺、湯泉神社、妙見寺、寶泉寺、善福寺、林渓寺
博物館 - 神戸市立太閤の湯殿館、温泉寺御祖師庵、有馬の工房、有馬玩具博物館、有馬切手文化博物館
景勝地 - 有馬四十八滝、紅葉谷、地獄谷
花街 - 温泉地ではあるが、格式の高さでは有名。高卒の新人芸妓は舞子と呼ばれる。
芦有ドライブウェイの山側終点に広がる「有馬わんわんランドは近畿圏最後の犬に限ったふれあい施設として開設されたが、2008年8月末に閉鎖された。

歴史
有馬温泉の歴史は古く、昔から皇族・貴族・文化人らに愛されてきた。日本最古泉とも言われる。

古代
631年に舒明天皇が約3ヶ月滞在したことが日本書紀に見られる。
奈良時代には僧行基が温泉寺を建立。
中世
清少納言は枕草子で有馬温泉に言及している。
1192年に僧仁西が戦乱で荒廃した有馬温泉を復興して湯治場としての原型を作った。
近世
豊臣秀吉は有馬を愛し何度も訪れ、更に温泉や周辺の改修を行い、今でも太閤○○と言う地名が残っている。
江戸時代に作成された温泉番付では、西大関(当時最高位)にランクされていた。また、姫路と京都を結ぶ街道の経由地としても栄えた。(参照:有馬街道)
近代・現代
谷崎潤一郎も有馬を愛し長期滞在して執筆を行うと同時に、作品中にも有馬温泉を度々登場させている。
1950年から毎年秋に「有馬大茶会」が開催されている。
1968年11月2日、温泉街の旅館池之坊満月城で火災。死者30人。
ウィキペディアより

道後温泉★愛媛県

「にっぽんの温泉100選」

9 道後温泉 愛媛

道後温泉(どうごおんせん)は四国・愛媛県松山市(旧国伊予国)に湧出する温泉である。日本三古湯の一といわれる。




道後温泉 道後グランドホテル
2008年度楽天アワード!中国四国地区レジャー部門「金賞」受賞いたしました。




道後温泉 ホテル古湧園
温泉街中心に有り、外湯や商店街にも近い便利なお宿




道後温泉 道後プリンスホテル
館内十二湯巡りを誇るバラエティ露天風呂と四つの貸切露天風呂が自慢の本格派潤いの湯宿です。




道後温泉 ふなや
創業381年 漱石、子規、虚子ら文人ゆかりの老舗旅館。小川の流れる日本庭園は四季折々の風情をお楽しみ頂けます。


温泉情報
所在地 愛媛県松山市
交通アクセス 詳しくはアクセスの項を参照のこと
泉質 単純温泉
泉温 42 - 51 °C

道後温泉の存在は古代から知られる。古名を「にきたつ」(煮える湯の津の意)といい、万葉集巻一に見える。なおかつてはこの周辺が温泉郡(湯郡)と呼ばれていたが、これはこの温泉にちなむ地名である。伊予国(いよのくに)という名前も湯国(ゆのくに)が転じたものという説がある。

夏目漱石の小説『坊つちやん』(1905年)にも描かれ、愛媛県の代表的な観光地となっている。2007年8月に地域団体商標(地域ブランド)として認定された(申請者は道後温泉旅館協同組合)。また、2009年3月、ミシュランガイド(観光地)日本編において2つ星に選定された。

温泉街
道後温泉街はその中央にある道後温泉本館を中心としている。本館自体が観光施設であるが、その横には「道後麦酒館」という地ビールを飲める店があるなど、飲食施設が充実しつつある。

温泉本館前から、市内電車の道後温泉駅まで、L字型に道後温泉商店街があり、土産物店や飲食店などが軒を連ねている。L字の角のところに、椿の湯がある。こちらも共同浴場であるが、料金も本館より安く、地元の人の利用が多い。

市内電車の道後温泉駅前には、放生園という小公園があり、坊っちゃんからくり時計、足湯、湯釜などがある。駅前広場には夜間は坊っちゃん列車の機関車と客車が留め置かれ、ライトアップされている。また、坊っちゃん、マドンナ、巡査の衣装をまとった観光ボランティアガイドも出て、からくり時計の動く時間には観光人力車も集まり、とりわけ夜8時前後は賑やかになる。従来は道後温泉街には昼間の楽しみが少ないと指摘されていたが、放生園に足湯ができて、楽しみが増えた。足湯は湯釜を取り囲む形でベンチが作られ、腰を下ろして足を温泉に浸け、歩き疲れを取ることができる。なお、放生園の隣、商店街の入り口には(財)松山観光コンベンション協会の観光案内所(年中無休:TEL089-921-3708)と道後温泉旅館協同組合(TEL089-943-8342)の事務所がある。

温泉本館の北から東にかけてがホテル旅館街となっている。各旅館ホテルが高度成長期に競い合って増築を行ったため、規模の大きい施設が多い。いくつかのやや規模の大きいホテル旅館の前には足湯・手湯が置かれ、自由に利用できる(無料)。

周辺にも、坊っちゃん記念碑、道後公園、湯築城跡、湯神社、伊佐爾波神社、松山神社、にきたつの道、セキ美術館、松山市立子規記念博物館などの見所が多数あり、一帯が観光名所を形成している。

近年、松山市が推進している「坂の上の雲」関連では、秋山家の墓が鷺谷墓地にある。

ホテル旅館街の西にある歓楽街・風俗街があり、ストリップ劇場やソープランドなどもある。かつては置屋などの立ち並ぶ一帯もあったが、現在は廃屋同然となっている。


歴史
道後温泉は、日本国内でもひときわ古い3000年もの歴史を持つといわれる温泉である(冠山から、約3000年前の縄文中期の土器・石鏃(せきぞく)が出土している)。神話の昔はもちろん、史実上の記録に登場する温泉として見ても、道後温泉は日本最古級の歴史を持つ。

歴史については、年表としては松山市道後温泉事務所を、物語的には道後温泉旅館協同組合も参照。


神話の時代から古代 [編集]

北西から見た道後温泉本館白鷺伝説
昔、足を痛めた白鷺が岩の間から流れ出る湯に浸していたところ、傷は癒えて、飛び立って行くのを見て、村人が手を浸すと温かく、温泉であり、効能を確認したという伝説がある。これが道後温泉の発見とされる。
道後温泉のみならず、白鷺と温泉の縁は深く、各地の温泉の発見物語に白鷺が登場する。道後温泉ではさらに念の入ったことに、その白鷺が舞い降りた跡が残ったものとのいわれのある石(鷺石)があり、市内電車の駅前の放生園(ほうじょうえん)という小公園の一角に据えられている。
なお、白鷺は道後温泉のシンボルの一つともなっており、道後温泉本館の周囲の柵にも白鷺をモチーフとした意匠がみられる。また、鷺谷という地名が残っている。
伊予国風土記逸文
神話の時代、大国主命と少彦名命が出雲の国から伊予の国へと旅していたところ、長旅の疲れからか少彦名命が急病に苦しんだ。大国主命は小彦名命を手のひらに載せて温泉に浸し温めたところ、たちまち元気を取り戻し、喜んだ少彦名命は石の上で踊りだしたという。この模様を模して、湯釜の正面には二人の神様が彫り込まれている。
また、その上で舞ったという石は、道後温泉本館の北側に「玉の石」として奉られている。こちらにも、白鷺同様、命の「足跡」と伝えられる跡が残っている。なお、有馬温泉、玉造温泉ほか全国の各地に類似の伝説がある。

皇族専用浴室(又新殿:ゆうしんでん)の入口596年 厩戸皇子(聖徳太子)来湯
病気療養のため道後温泉に滞在したことが伊予国風土記逸文に記されている。皇子は伊佐爾波の岡に登り、風景と湯を絶賛し、記念に碑文を遺したとされるが、今日までその現物は発見されておらず、道後温泉最大の謎とされている。(14世紀に河野氏が湯築城造営の際に持ち去ったという説もある)椿の湯の南側の緑地にその模様を記した碑が建立されている。
これをはじめとして、日本書紀や伊佐爾波神社(いさにわ〜。八幡宮)の社伝などによると、景行天皇・仲哀天皇・神功皇后・舒明天皇・斉明天皇・中大兄皇子(後の天智天皇)・大海人王子(後の天武天皇)など多くの皇族方が行幸したとされる。
7世紀
645年に大化改新が行われると、現在の今治市の辺りに伊予国の国府が置かれ、京から見て国府よりも遠い地域は「道後」(←→道前、道中)と呼ばれたことから、後世になるとこの温泉のある一帯が特にそう呼ばれるようになった。
中大兄皇子
白村江の戦いの前に中大兄皇子(後の天智天皇)が日本・百済連合軍を集結させた。

道後温泉の近くにある石手寺7世紀頃
2005年11月、松山市埋蔵文化財センターは、道後温泉本館の東隣の発掘調査現場から7世紀頃の地層に温泉の成分である高濃度の硫黄やアルカリ泉に存在するケイ藻の成分が含まれていたと発表した。史書に登場する温泉の存在を裏付ける史料ではないかと注目されている。

中世 [編集]
1239年 宝厳寺(ほうごんじ)に一遍上人生誕。
14世紀 河野氏が一帯を支配、湯築城を本拠地とする。

江戸時代 [編集]
1635年(寛永12年) 松平氏の温泉経営始まる
松山藩に松平定行が入ってから、道後温泉は定行ら代々の松平松山藩主により大きく整備された。「温泉経営の時代」である。
1795年(寛政7年) 小林一茶来湯

北東から見た道後温泉本館
明治以降 [編集]
1894年(明治27年)、道後温泉本館落成
温泉街の中心部に近代和風建築として斬新なデザインを持つ道後温泉本館が完成する。翌4月には松山中学の英語教師として温泉のある松山市に赴任した夏目漱石がその建築に感嘆し、手紙や、後の彼の作品『坊つちやん』の中で絶賛している。
手紙によれば、八銭の入浴料で「湯に入れば頭まで石鹸で洗って」もらうことができ、また3階に上れば「茶を飲み、菓子を食」うことができたようである。この道後温泉本館は、現在でも道後温泉のシンボル的存在となっている。
1944年(昭和19年) 道後湯之町、松山市と合併
1946年 南海地震により湯の湧出が一時止まったが約1ヶ月後、再び湧き出る。
1950年(昭和25年) 昭和天皇、入浴。
1956年(昭和31年) 内湯創設 当時、旅館62軒
1966年(昭和41年) 道後温泉本館三階に「坊っちゃんの間」開設。
1977年(昭和52年) 道後村めぐり始まる
1986年(昭和61年) 愛媛県県民文化会館オープン。
1988年(昭和63年)4月 瀬戸大橋開通、宿泊者数ピークに
1994年(平成6年) 道後温泉本館が国の重要文化財に指定された。

からくり時計(放生園)同年 本館建設百周年記念事業、からくり時計の設置、坊っちゃん列車復元運行(県民文化会館隣の空き地にて)
この頃から、道後温泉誇れるまちづくり協議会の活性化の取組みが始まる。
1994年(平成6年)8月〜 夏季異常渇水に見舞われる
1994年(平成6年)12月 道後温泉本館重要文化財指定
1996年(平成8年)3月 道後公園の整備計画まとまる。中世の史跡公園としての方向性示される。
1996年(平成8年) 聖徳太子来湯1400年
1996年(平成8年) 刻太鼓(ときだいこ)が「残したい日本の音百選」に選ばれる。
1996年(平成8年)7月 道後地ビール発売
1997年(平成9年)6月 冠山のニュー宝荘明け渡し完了、駐車場としての利用開始
1998年(平成10年)5月 観光ボランティアガイド活動開始
1999年(平成11年)5月 瀬戸内しまなみ海道開通
2001年(平成13年)3月 芸予地震発生(24日)、一旅館倒壊の被害
2001年(平成13年)10月 道後温泉商店街の愛称が「ハイカラ通り」に決まる
2001年(平成13年)12月 旅館の入り口付近に「足湯」の設置始まる。
2003年6月厚生労働大臣表彰
2002年(平成14年)2月 道後温泉誇れるまちづくり協議会により活性化構想「DO!GO!21」構想を発表

南側の冠山から見た道後温泉本館2002年(平成14年)3月 放生園に体験足湯設置
2002年(平成14年)4月 道後公園湯築城跡オープン
2002年(平成14年)12月 放生園の足湯設置
2003年 塩素騒動勃発
2005年度、全国都市再生モデル調査の事業として、カジュアルフォトコンテスト、道後村めぐりワークショップ、景観を考えるシンポジウム等を実施した。
2005年(平成17年)1月 ぎやまんの庭オープン
2005年(平成17年)7月 にきたつの道朝市開始(以後、第4日曜日開催)
2006年(平成17年)3月 道後温泉商店街新アーケード完成
2006年(平成17年)3月 道後温泉本館保存修復検討委員会最終報告
2006年(平成17年)4月 夏目漱石の小説『坊っちゃん』発表百周年記念行事
4月 本館東側空き地に「漱石坊っちゃん碑」設置
2007年(平成19年)3月 美しい日本の歴史的風土100選に松山城と共に選定
2007年(平成19年)8月 地域ブランド認定
ウィキペディアより

川治温泉★栃木県

「にっぽんの温泉100選」

10 川治温泉 栃木

川治温泉(かわじおんせん)は、栃木県日光市(旧国下野国)にある温泉。



川治温泉 湯けむりの里 柏屋
昔心を施設や接遇に取り入れた、四季情緒豊かな宿。



川治温泉 明月苑
川治温泉の奥に佇む和風旅館です。静養・保養にくつろぎのひと時をお過ごし下さい。




川治温泉 宿屋伝七
日光・鬼怒川温泉の奥座敷「川治温泉」。開放感あふれる源泉掛け流しの露天風呂とお部屋でゆったり会席料理が愉しめる温泉の湯宿


温泉情報
所在地 栃木県日光市
交通アクセス 鉄道 : 野岩鉄道川治湯元駅より徒歩約10分
自動車 : 日光宇都宮道路今市ICより約40分
泉質 単純泉
液性の分類 アルカリ性

温泉街
鬼怒川と男鹿川の合流部付近、男鹿川沿いに約10軒の旅館、ホテルが立ち並ぶ。

川沿いには「岩風呂」の愛称がある共同浴場(露天風呂)の薬師の湯が存在する。

温泉街には、女陰の形をした霊石のおなで石が祀られている。昔から女陰の亀裂に沿って撫でながら祈願すると、子宝、縁結び、安産などに霊験があるとされている。


歴史
開湯は江戸時代の享保年間に、男鹿川の氾濫後に偶然発見したと言われる。

この地を通っていた会津西街道の宿場町として、また湯治場として栄えた。

1980年11月20日、川治プリンスホテル火災が発生し死者45人、負傷者22人を出した。
ウィキペディアより
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