旅行★観光 温泉 ホテル・旅館 ガイドTOP ≫  日本の温泉100選

日本の温泉100選

スポンサードリンク

鬼怒川温泉★栃木県

「にっぽんの温泉100選」

10 鬼怒川温泉 / 川治温泉 栃木

鬼怒川温泉(きぬがわおんせん)は、栃木県日光市(旧下野国)にある温泉。関東を代表する箱根と並ぶ、東京の奥座敷と呼ばれ、東京の浅草または新宿から特急列車で約2時間である。




鬼怒川温泉 鬼怒川プラザホテル(日通旅行提供)
渓谷側に突き出した総大理石の大浴場からの眺望は温泉街随一。




鬼怒川温泉 ホテルサンシャイン鬼怒川
『でっかい。けど、あったかい。』これが、私たち宿のスローガンです!鬼怒川立岩は眼前☆全室渓谷沿いで風光明媚♪




鬼怒川温泉 木心亭
季節の移ろいをそのままに!ワンランク上の旅を提供。


歴史
古くは滝温泉という名前で、鬼怒川の西岸にのみ温泉があった。発見は1752年とされる。日光の寺社領であったことから、日光詣帰りの諸大名や僧侶達のみが利用可能な温泉であった。

明治から昭和初期まで
明治時代になって、滝温泉が一般にも開放されるとともに、明治2年には東岸にも藤原温泉が発見される。その後、上流に水力発電所ができて鬼怒川の水位が下がるとともに、川底から新源泉が次々と発見され、次第に温泉として発展していった。
ウィキペディアより


和倉温泉★石川県

「にっぽんの温泉100選」

11 和倉温泉 石川

和倉温泉(わくらおんせん)は、石川県七尾市に位置する温泉である。

和倉温泉 金波荘 今昔振舞
  【 創業百余年 開湯の宿 -- 今も昔も、おもてなしで 湯たり-- 】





和倉温泉 旅亭はまなす
小さな宿の大きなくつろぎ、季節ごとの旬の味をお部屋でゆっくりとご賞味下さい




和倉温泉 宿守屋寿苑
全客室、大浴場共波静かな七尾湾に面した海の和風旅館です。




和倉温泉 天空の宿 大観荘
全客室からは日本海七尾湾を一望。日本海の海の幸をご賞味ください。



和倉温泉 銀水閣
温泉街の中心に位置、風情が堪能できる純和風の宿、海に面し客室や大浴場より七尾湾及び能登島が望めます。


温泉情報
所在地 石川県七尾市和倉町
交通アクセス 鉄道: JR西日本和倉温泉駅
バス: 北鉄能登バス・能登島交通「和倉温泉BT」
車: 能越自動車道和倉IC
泉質 塩化物泉
(ナトリウム・カルシウム)
泉温 89.1 °C
湧出量 約2,618 t/日
(約1,600 L/分)
pH 7.66
液性の分類 弱アルカリ性
浸透圧の分類 高張性

温泉街
全国有数の高級温泉街として知られ、七尾湾に面して旅館が並ぶ。また、能登観光の玄関口でもあり、海のレジャーゾーンで知られる能登島にも近く、七尾市街にもフィッシャーマンズワーフなど見所がある。毎年1月と8月に花火大会が開催され、宿泊客や地元の人々でにぎわう。

歴史
開湯1200年とされる歴史の古い温泉で、傷ついた白鷺が癒しているのを漁師が発見したと伝えられる。[要出典]

地名の和倉とは「湧く浦」、つまり湯の湧く浦(入り江)であり、海の中から発見された。そのため、潮が退いている時でないと湯を利用することができなかったが、近世には七尾城主の畠山氏、加賀藩の前田氏によって温泉が整備され、共同浴場が置かれた。

温泉地として本格的に開発されたのは明治時代になってからであり、戦後になって交通アクセスの向上に伴い、温泉街も大規模化した。高度経済成長期になって能登半島方面に観光ブームが沸き起こり、その後七尾線の電化に伴う特急乗り入れが開始し、急速に宿泊客が増加した。一時は同じ石川県内加賀温泉郷や隣県である福井県の芦原温泉と同じく歓楽要素を持っていたが今日その傾向は薄く、「日本一の旅館」と言われる加賀屋の影響もあって各旅館とも高級指向を全面に打ち出している。今日では山代温泉と並び、県内温泉地における宿泊客トップを競う形となっている。

2007年(平成19年)3月に発生した能登半島地震では大半の旅館が被災しほとんどの旅館が営業停止なったが、大部分の旅館は4月1日までに営業を再開した。
ウィキペディアより

城崎温泉★兵庫県

「にっぽんの温泉100選」

12 城崎温泉 兵庫

城崎温泉(きのさきおんせん)は兵庫県豊岡市城崎町(旧国但馬国、旧城崎郡城崎町)にある温泉。 平安時代から知られている温泉で1300年の歴史をもつ。江戸時代には『海内第一泉(かいだいだいいちせん)』と呼ばれていて、今もその碑が残る。




城崎温泉 ホテルブルーきのさき
ゆったり流れる円山川と美しい山並を一望できる宿 ★オリエンタルヒーリング 杏★OPEN!




城崎温泉 旅館泉翠
温泉街の中にあり、外湯めぐりに便利な和風旅館 貸切風呂が無料で利用でき、完全個室岩盤浴(有料)あり




城崎温泉 西村屋ホテル招月庭
松葉かに・但馬牛など四季折々の味覚と充実したお風呂の数々。五万坪の森林庭園に囲まれた、くつろぎのひとときを。




奥城崎シーサイドホテル
山陰海岸国立公園内に位置し、日本の渚百選に選ばれた白い砂浜、紺碧の海が目の前


温泉情報
所在地 は兵庫県豊岡市城崎町
交通アクセス 鉄道:JR山陰本線城崎温泉駅下車すぐ
大阪・神戸から全但特急バス かに王国号で城崎温泉駅または城崎温泉下車
泉質 塩化物泉
泉温 37 - 83 °C

温泉街
温泉街の中心を流れる大谿川基本的に七湯ある外湯めぐりが主体の温泉。その筆頭である「一の湯」は江戸時代『新湯(あらゆ)』と呼ばれていたが、医師香川修徳が泉質を絶賛し、『海内一』(=日本一)の意味を込めて一の湯に改名した。また「さとの湯」は正式名称を「豊岡市立城崎温泉交流センター」といい、浴場施設及び研修室が指定管理者制度による公設民営、そのほかの施設が市営であり、施設内に豊岡市城崎総合支所温泉課がある。

城崎温泉駅前から7つの外湯につながる大谿川沿いに温泉街を形成し、川べりの柳が風情あるものである。知名度と京阪神からのアクセスの良さにもかかわらず、歓楽色の少ない閑静な情緒が特徴である。夏は海水浴、冬はカニ料理に人気がある。城崎温泉駅にもさとの湯(駅舎にある温泉)や足湯、飲泉場がある。足湯や飲泉場が温泉街各所にある。

城崎では浴衣を着て下駄を履くのが正装と言われている。温泉街には「ゆかたご意見番」という掲示をした店が多く、浴衣が着崩れたりした時に対応する。浴衣の模様で旅館が分かるとその旅館の下駄を差し出す下足番もいる。色鮮やかな浴衣を貸し出す旅館も多い。 また温泉郷に設置されている7ヶ所の外湯では観光客向けに当日最初の入湯者に一番札を配布している。

歴史
舒明天皇(在位629年〜641年)の時代に、コウノトリが傷を癒した伝説がある。
養老元年717年から養老四年720年、道智上人が千日の修行を行った末に湧出したことが城崎温泉のはじまり。(現在のまんだら湯)道智上人は温泉寺開山でもある。温泉寺は以後、城崎温泉の社会的中心になる。
江戸時代の温泉番付によると西の関脇(最高位は大関)にランクされる。ライバルの有馬温泉は西の大関。江戸時代の外湯の元になった湯壷は9つあった。幕末に桂小五郎が新撰組に追われて城崎温泉に逃げてきたことがあった。江戸時代の城崎温泉はすでに遊技場のほか、食べ物屋は鍋焼き、ぜんざい、うどん、そばなどがある。果物、魚、鳥も各地から運ばれフグ、タコ、カモと何でも手に入った。貸し物屋では三味線、すごろく、碁、琵琶、琴、さらに、槍や刀まで貸してくれていた。このように、客が帰るのを忘れさすほどもてなした。城崎温泉には、近郊の藩主や藩士が多数訪れたにぎわった。
日露戦争の折は戦争で負傷した兵士を湯治させるために寮養所を城崎温泉に設置した。そのため明治維新からずっと続いていた深刻な不況もなくなった。明治以後も文人墨客に愛され、『城の崎にて』を書いた志賀直哉、作家・有島武郎をはじめとする多数の文豪が来訪。このころ、内湯問題が本格的になる。
大正時代の北但馬地震で町は全焼するが、翌月には82人の客が城崎を訪れていて湯が沸いている限り客足は絶えなかった。
第二次世界大戦中、温泉街は、軍人病院となっていた。
1963年に温泉街と大師山山頂を結ぶ城崎ロープウェイが開通。高度成長にあわせて温泉ブームが到来し、城崎温泉は巨大な観光地となった。
2008年7月、木屋町通りと四所神社を結ぶ小路に木屋町小路(サイト)がオープン。
ウィキペディアより

箱根湯本温泉★神奈川県

「にっぽんの温泉100選」

13 箱根湯本温泉 神奈川

箱根湯本温泉
箱根湯本(はこねゆもと)温泉は、箱根の玄関口にある温泉。箱根登山鉄道箱根湯本駅下車すぐ。泉質は単純泉・アルカリ性単純泉、30〜80℃、神経痛・関節痛・冷え性に効く。箱根で一番大きい温泉街で共同浴場も多い。



箱根湯本温泉 湯本富士屋ホテル
箱根湯本駅前。箱根を代表する温泉リゾートホテル。




箱根湯本温泉 箱根パークス吉野
地上12mの展望大浴場と露天風呂。肌がスベスベの温泉は、敷地内外3本の源泉から溢れて出しております。




箱根湯本温泉 ホテル はつはな
女性専用スパ”やまざくら”も大好評!肌がスベスベになると評判の ”美人の湯” ぜひお試しくださいませ



箱根湯本温泉 彌榮館(やえいかん)
貸切露天風呂や貸切風呂が無料でご入浴可能。食事はもちろん朝食、夕食共にお部屋にお持ち致します。



歴史
1811年のガイドブック開湯は奈良時代の天平10年738年、釈浄定坊が発見した『惣湯』。この源泉は現在も使用されている。

箱根温泉が知られるようになったのは、豊臣秀吉の小田原征伐がきっかけである。広大な小田原城を攻めるため全国の武士を集め長期滞陣したが、その無聊を慰めるため温泉に入ったといわれている。

江戸時代は五街道の一つ東海道に沿った温泉として繁栄、「箱根七湯」として知られた。この頃の箱根七湯は、湯本、塔之沢、堂ヶ島、宮ノ下、底倉、木賀、芦之湯。開湯は古いが街道から大きく外れていた姥子の湯を入れて、「箱根八湯」と呼ぶ場合もあった。徳川家光、徳川綱吉の時代には、将軍への献上湯も度々行われている。なお、江戸時代の温泉番付では芦之湯温泉が前頭上位となっている。

明治以後、箱根は保養地、観光地としての開発が進む。1919年には箱根登山鉄道鉄道線が山上まで達し、さらに太平洋戦争終戦後まもなく小田急電鉄が箱根湯本駅まで乗り入れ、非常に便利になった。直通運転開始後、西武鉄道グループと小田急グループの箱根山戦争の舞台となり、結果多くの観光客が訪れるようになる。新たな温泉の開発も進み、歴史ある上記の八湯に加え、明治以降に開かれた大平台、小涌谷、二ノ平、強羅、宮城野、仙石原、湯ノ花沢、芦ノ湖、蛸川の9つの温泉を合わせて「箱根十七湯」と称している。さらに早雲山、大涌谷、湖尻の3か所を加えて「箱根二十湯」と呼ぶこともある。

箱根町内には、温泉が引かれ入浴をカリキュラムに組み入れた小学校もあった。低学年では男女混浴の場合もあり、一般の温泉と同じように全裸で入浴する。平成20年3月をもって廃校となった。

2004年、マスコミで温泉偽装問題が大きく取り上げられ、造成温泉を「天然」と表示したり、水道水に鉱石を通すだけで温泉と表示した旅館があると報じられ、問題になった。

2005年には台風11号により湯の花沢地区の造成温泉施設に被害が発生した。配湯されない旅館向けに別源泉からの引湯および温泉スタンドが設置され、源泉販売が行われた。
ウィキペディアより
スポンサードリンク
Copyright (C) 旅行★観光 温泉 ホテル・旅館 ガイド. All Rights Reserved.
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。